大人になったものだ



私は、子供の頃から絵を描いていた。


どうも絵だけじゃ食べていけないらしくて、会社勤めを始めた。 この時「大人の仮面」を被った。


「仮面」はツギハギだったので、劣化が早かった。


少しのお金と知識を蓄え、仕事を辞めて絵描きを目指している。 仮面の下の自分は、少しだけ大人になっていた。



あえて言えば、人は子供から大人に「変身」するのではない。


子供のままで居られる術を身につけたのが大人なのだ。


信じられないくらいワガママな大人も、呆れ返るほどくだらない大人の事情も、その人が子供の頃に身につけたあれやこれやを、押し通す力を得たに過ぎないのである。



きっと、親と大人は違う。


親は役割で、大人は能力だ。 親らしさというものがあるとしたら、それは社会共同体ごとに定義が異なるだろう。


大人になりきれない親がいる。


社会規範の言いなり。 自分の親の言いなり。 子供の言いなり。


そういう親は大人ではない。子供でもない。


親という役割に自分を埋没させている。 無理に同化させようとしているのなら、非常に苦しい。放っておくと、欲求がこじれていくか、心が壊れる。


親であることと大人であることは、必ずしも両立しない。



きっと、老人と大人も違う。


老いとは、単なる「状態」である。 老人らしさというものがあるとしたら、それは医学的に定義されているだろう。


身体老いるまで生き続けていれば、大抵のことにおいて狡猾に自分の欲求を通す術を知っているだろう。

老人であることと大人であることは、おそらくほとんどの場合両立する。



言葉があり、絵具がある。

手を替え品を替え、それらを組み合わせた作品を発表できる環境もある。


目が見える。手が動く。

自分を押し通すために、ずるい手を使うための頭も働く。


私も大人になったものだ。




note投稿企画「大人になったものだ」参加作品)





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